『必読書150』を読む会/第1回 埴谷雄高『死霊』を読む会 報告

 2006年、4月22日(土)15時より、法政大学にて『死霊』の読書会を行う予定であった。しかし、情宣不足により当日当時刻に人が一人も集まらなかった。途方にくれていたところ、偶然、四谷の学校に通う何某君に会う。何某君は用が控えていて、『死霊』も読んでいず、何のアポもとっていなかったが、半ば強引に「『死霊』を読む会」の参加者になっていただいた。社会科学系の方で、とても優秀でいらっしゃる何某君は、松平のレジメ「『死霊』論2」に対してその場で読める範囲で、ビシバシツッコミをいれてくれた。ぼくが「『死霊』論」に込めたモチーフ、「『死霊』論2」の弱点、ドストエフスキーの「大審問官」とレーニン、先月3月の法政大学当局による左翼運動家の逮捕等、政治と関わるもっとも核心的な話題をマシンガンスピークした。残念ながら何某君は、時間制限がありお帰りになる。ありがとう何某君。該当作品をよんでいなくても、ぜひ何某君にはまた参加して欲しい。
 しばらく一人になりぼんやりする。一人では読書会を行えない。人間死ぬときは一人だと欝になる。3:10〜4:40、4;50〜6:20の二コマで本日の読書会を考えていたが、一コマ目の終わりのころに旧工大生君登場。よかった。旧工大生君は人文科学も社会科学も専門ではない。しかし、それらに半端に足をつっこんでいないぶん、しばしば、そこらへんの文学部の学生より、はるかに論理的に正しい判断を下す。また、たとえある人間がある文章に対し、それを専門としていなくても、一人の人間として、その文章に対して評価する権利はフェアなものだ。文章は常に、読み手のためにあり、読み手の側のものである。旧工大生君はオブザーバー参加のつもりで来たらしいが、タイマンでの闘いへと移行する。そして、ぼくの修論は旧工大生君の手により無残に引きちぎられた。旧工大生君は理系エリートであるが、某工大のレベルの高さと凄みを感じる。話題は、「自同律の不快」について。「虚体」と夢に関係性はあるのか。「魂」の問題について。貧血で頭がくらくらしてきた。二コマ目終了。近くのファミレスに移動し、ご飯にがっついて、糖分を補給し、続きを行う。話題は、「存在の究極の秘密」について、「巨大な無関係」について、言語とは何か、物自体と言分けについて、文学研究と文芸批評の持つ限界と可能性について、生物とは何か、男と女の違いを生むものは何か、欲望と本能について、進化論と実験器具について、等々。
 9:00近く、halshino君に連絡をして、合流。二次会は吉祥寺で行う。シャンパンで乾杯する。話題は、流体力学について、書籍の今後とブログの可能性について、等々。
 11:30解散。犬も歩けば棒にあたる、の一日であった。棒でぶん殴られたり、しゃべりたいと思っていた人としゃべれたり。楽しかったし、手応えを感じた。次回の「『必読書150』を読む会」はもうちょっと情宣をしよう、というのが反省点である。本日、読んでみたい必読書として提起されたのはウィトゲンシュタインである。しかし、もう一回くらい『死霊』をやるかもしれない。
死霊(1) (講談社文芸文庫)
論理哲学論考 (岩波文庫)