小谷野敦と荻上チキ

小谷野敦荻上チキの実名のヒントをブログに書いた件でずいぶん盛り上がっているようですね

小谷野敦荻上チキの正体」
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071218

小谷野敦さんに実名を晒された件/および匿名と顕名の擁護
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20071220/p1


小谷野氏がチキ氏を自分のテリトリーへと引きずり込む、その舌舐めずりするかのようなワッルイ手練手管に「うっ」とします

小谷野氏のいう、匿名での批判は卑怯だ、だからその仕返しとして実名を晒すのだ、という感覚は私にはよく分かりません
ただ、小谷野氏はモダニストであるのだなとは思います
実社会での昼の顔、昼の名前を使い、Webにおいては夜の顔、夜の名前を出す
その二つの乖離が、日本社会では特に強くあります

昼も夜も、同じ名前で発言し、社会生活を営むことが、主体的な市民として生き、政治的な公共圏を作ろうとするときに必要となりはしないのか

会社に勤め人として通っている間は公的な仕事(ワーク)に参入している
一方、Webにおける言論活動(アクション)は、私的な領域でのものである
この構造には、理想的な民主主義社会の原理に反する不可思議な「ねじれ」をはらんでいます

田中和生氏と高橋源一郎氏の論争は、Webではまったく話題になっていませんよね、それは問題なのではないでしょうかとある飲み会で私がしゃべっていたら、文芸誌と、Webでの言論とはまったく別物で、そんなことは気にするものでもない、といったような指摘をいただきました

Webにおける言論というものは、昼の実社会へと本当にリンクしうるものなのか
ネットの空間における表現は、言論界のものへと、きちんと連結するものなのか
Webでの表現活動を追求している小谷野氏とチキ氏というお二方であるからこそ、興味深いもめ事だと思います