デリダ『歓待について』

ソポクレス『コロノスのオイディプス』を論じる
オイディプス王」に代表されるエディプスコンプレックスへの批判的考察が混じるよう
国民国家における移民受け入れ問題も課題

共同体へ来た「異邦人」は、まずは法の言語に対して「異邦人」である
デリダは無条件の「絶対的な歓待」を推奨しているよう

ソクラテスは「異邦人」である
・1996年の講義
p.38・人間は動物とは違い、動物を「歓待」できる
アテネでは異邦人は権利を持っていた→古代ギリシャ民主主義における人権考察
・異邦人はまず名を問われる→同一性と主体が発生する
・法の外にある「オイディプス」を、いかに法のなかへと組みこむか
(・家族にとっての子供と、国家にとっての移民は、ともに「異邦人」であるという視点があるのか?)

・「オイディプス」にとって、都市としての「テーバイ」は「有罪」であり、「無意識」である
・現代の異邦人はインターネットからも訪れる
・「嘘をつく権利」。Web社会において。警察に嘘をつくことは悪いことなのか?カントへの批判を絡めつつ扱う。カントその人は嘘をついたことがないのか。証拠はないのだ、と
・カントの場合、道徳性の名のもとに、あらゆる場所への権力の侵入がなされる、と
・共同体の掟に対し、普遍的な掟(絶対的な歓待)を二律背反として対置し、掟の単数性に対して、複数性を持ち上げる
・「言語」は「我が家」である
p.126 「最初の人間オイディプスヘーゲル)は最後の人間オイディプスニーチェ)でもあります」
・旧約から引いてきたロトの挿話がイマイチ理解できませんでした。異邦人に、娘をやらせちゃうお話。フロイト的、ヘーゲル的に、なんやかや寓意しているのでしょうけれども。これ、なんてエロ本?

○チェック
ソポクレス『コロノスのオイディプス
東浩紀の指摘する第二期デリダ『弔鐘』(70年代)→家族の問題、ヘーゲル
プラトンソピステス』『ポリティコス』『ソクラテスの弁明』
カント『永遠平和のために』、「人間愛からなら嘘をついてもよいという誤った権利に関して」『カント全集』十六巻
「悲哀とメランコリー」『フロイト著作集6』→「喪の作業」
アンリ・ジョリ『異邦人たちの問い』
高橋哲哉デリダ――脱構築